第33番札所
那古寺(なごじ)
愛称
那古観音
住所
〒294-0055
千葉県館山市那古1125
電話番号
0470-27-2444
山号
補陀洛山
本尊
千手観世音菩薩
宗派
真言宗智山派
真言
おん ばざら たらま きりく
ご詠歌
ふだらくは よそにはあらじ なこのてら きしうつなみを みるにつけても
説明
那古寺は小高い山の那古山の中腹にある。鎌倉を起点に関東全域をめぐり1,400キロ近くにも及ぶ坂東33ヶ所巡礼の結願寺です。参道を登っていくと、朱塗りの仁王門。金箔や彩色の残る仁王像は素晴らしいです。仁王門をくぐると、右手に阿弥陀堂、多宝塔(1761年)が並び、左には鐘楼。そして、正面が本堂です。ここからは眼下に鏡ヶ浦の異名をもつ館山湾が一望できます。堂内には厨子に納められた本尊・千手観音像、お前立ちの観音像、銅造千手観音像(国重文、鎌倉初期)、大日如来像などがあります。寺伝によれば、養老元(717)年に行基が元正天皇の病気平癒を祈願して海中から得た香木で観音像を刻んだところ、たちどころに回復し、天皇の勅願によって那古山に創建されたのが那古寺ということです。その後、慈覚大師円仁が訪れ修行し、秀円上人によって真言密教の霊場となり、平安末期には石橋山の合戦で敗れ安房に逃れた源頼朝が再興を祈願して七堂伽藍を建立。その後も足利氏や安房を根拠にした里見氏(南総里見八犬伝でおなじみ)の保護を受け、寺は大いに栄えました。しかし、1703年の大震災でお堂は全壊、それまで那古山麓に打ち寄せていた海は海底の隆起によって500メートルほども遠のいてしまいました。その後、徳川幕府の命によって寺は再興されましたが、1924年の関東大震災で再び被災し、諸堂は翌年、再建・修復され現在に至っています。ちなみに本堂は2008年3月に「平成の大修理」を終えたばかりです。山号の「補陀洛」(ふだらく)とは観音信仰の中心地で、「眺望も絶景で海に臨んで花咲き、鳥もさえずる極楽の境地」を表わしています。三十三ヶ所の巡拝を終えた「結願之証」も発行していただけます(志納)。発行には三十三ヵ所のご朱印が揃っていることを確認してもらう必要があります。
参観料
無料
営業時間
8:00~17:00
駐車場
30台